元町6丁目商店街(モトロク)

元町商店街の歴史

幕末~明治維新

文明開化からハイカラへ、異国人との商いへ。

神戸開港。
国際都市ことはじめ。

3つの村に「ハイカラ」をもたらしたのは、兵庫(神戸)開港でした。
1867年(慶応3年)5月24日、徳川慶喜は朝廷で開かれた会議で開港の勅許を得、慶応3年12月7日(1868年1月1日)、ついにその日を迎えました。記念すべき開港宣言が行われたのは、神戸村の一角に完成した運上所(税関)の一室。兵庫奉行の柴田剛中は日本代表として、英国・米国・仏国・プロシャ・オランダの代表を前に開港を宣言し乾杯を執り行いました。その日港では正午を合図に、沖合に停泊する18隻の軍艦から11発の祝砲が轟き、3つの村にこだましたと伝えられています。

雑居地(居留地)の誕生。
“3つの村”に、外国人がやって来た。

晴れて開港したものの、時はまさに幕末から明治維新へと変わりゆく激動の時代。外国人はこの地での居留と自由な商売を可能とされていましたが、受け入れ態勢はなかなか整いません。特に居住地の整備は進まず、1868年3月、英国・仏国・オランダ三国代表が天皇謁見に上京した際、居留地の窮状を政府に訴えるほどでした。
そこで取り決められたのが、「雑居地」の指定による外国人への居住可能地域の拡大です。新たに指定された地域には、走水、二つ茶屋、神戸の3つの村も含まれていました。いよいよこの地に外国人が住まうことになったのです。記録では、ドイツ人やアメリカ人の商人がここに住まいを得たのだとか。現代の元町は、日本でいち早く国際化された場所のひとつだったのです。

外国人との商取引。
商いのさらなる発展へ、新しい挑戦。

開港によって大勢の外国商人たちと珍しい舶来品の数々が、神戸にやって来ました。外国との商いを目当てに大阪や京都からも商人が続々と集まり、神戸は賑やかに発展していきます。日本の商人たちは、言葉も通じない中で試行錯誤の連続だったようですが、外国人との取引による利益の大きさは、さぞ魅力的だったことでしょう。
3つの村の人々も、目の前で繰り広げられる商いを見過ごしていたわけではありません。「渡世願い」(営業許可)が次々に出されました。国内商品の売り込みはもちろん、舶来品の買い受けや、両替、宿屋、選択、運送請負などのサービス業の申請も。さらに、逗留船舶が使用する炭や薪などの売り込み申請もあったとか。人々は大いなる希望とチャレンジ精神で、新しい時代を切り拓いていったのでした。

神戸元町商店街連合会発行『神戸の良さが元町に ―生誕140年 神戸元町商店街のいま―』より抜粋

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