元町6丁目商店街(モトロク)

元町商店街の歴史

大正時代

百貨店の出店を商店街のイノベーションへ。

大型店開業ラッシュ。
神戸を代表する商業地に、新時代到来。

神戸を代表する商業地に成長してきた元町通が、20世紀の到来とともに新たな時代を迎えました。大型店が続々とこの地に進出してきたのです。
1901年(明治34年)2月に「高島屋」が元町通三丁目に神戸出張所を開設、同年4月には「そごう」が元町通五丁目に移転・開業。1908年(明治41年)には「大丸」が元町通四丁目に、そして1926年(大正15年)には「三越」が元町通六丁目に大阪支店神戸分店を開設しました。
中でも「大丸」は、正面入り口のショーウインドーや二階のガラス天井などの目新しい設計と、商品陳列方式で売り場デスクを別に設ける販売システムで、来店客を驚かせました。同店は1927年(昭和2年)に明石町に移転しましたが、元町通四丁目の店舗は改装して「大丸食堂」となり「元ぶら族」最大の人気スポットになったそうです。
そして1925年(大正14年)、元町通六丁目に神戸初の高層デパート「元町デパート」がオープン。同店は2年後に「三越」に売却されますが、その壮麗な建物はそのまま「三越」に受け継がれました。

スズラン灯、点灯。
「花電灯うつくしく」。百貨店にはない魅力。

街をあげての商戦が元町通を中心に繰り広げられていく中で、大型店の人気は急増。雨が降っても快適、夜になっても明るい、いつも快適にウィンドーショッピングが楽しめる大型店は、当時の庶民の夢の殿堂です。元町商店街の顧客も大型店に流れるようになりました。
そこで立ち上がったのが、元町商店街の志ある店主たち。大型店に対抗するには明かりの導入が必要だと考えて、当時京都の寺町で話題になっていたスズラン灯を視察し、導入を決めました。導入にあたっては工事中も賛否ありましたが、1926年(大正15年)神戸又新日報は「元町の電灯並樹」について「鈴蘭の花電灯うつくしく/満街飾をする元町通/燦たる街灯の並木をかたち作って/不夜城式の大百貨店街を実現する/点灯工事完成に近づく」と報道。スズラン灯の導入で、元町商店街は再び人々の注目を集めるようになったのでした。

少年時代の菊田一夫。
商店街が育んだ、一世風靡の劇作家。

「鐘の鳴る丘」「君の名は」の原作者として一斉を風靡した劇作家・菊田一夫。彼が元町通五丁目の珍産商会にやってきたのは1920年(大正9年)、かぞえの12歳の時のことです。七度目の養父に小学校を中退させられ大阪の薬種問屋に丁稚奉公に出されたものの、へまと不器用が店の怒りにふれて放り出されたところでした。
当時、商店街では年に一度、誓文払い(大売出し)が開催されていました。期間中、元町通は紅白の幕を張り、店の前に並べられた売り出し台には特価品が山積み。店の人たちはハッピ姿に赤鉢巻きで、あちらこちらで「買いなはれ、買いなはれ!」の声が飛び交いました。筋向いの店も見えないほどの押し合いへし合いする人出は「まるで押し寿司のよう」だったとか。その様子を、菊田は後に代表作「がしんたれ」で紹介しています。
向学心を忘れなかった菊田少年は、珍産商会の店主のはからいで夜間学校に通い、さまざまな本を読み漁るようになりました。そして、18歳で東京へ旅立つまで、同人誌に参加したり、神戸市青年団の音楽部では機関紙を発行したり、元町で青春を謳歌したのでした。

神戸元町商店街連合会発行『神戸の良さが元町に ―生誕140年 神戸元町商店街のいま―』より抜粋

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